社会全体の捉え方を変えたい
先日、少人数で「不登校って何?」という座談会を開きました。
不登校のお孫さんを持つおばあちゃん、近所に不登校のお子さんがいた保育士さん、不登校支援の場でダンスを教えている方、大学生、そして不登校のお子さんを持つお母さん——立場も年齢もバラバラな5人が、同じテーブルを囲みました。
正解を出す場じゃない。ただ、一緒に考えて、言葉にする場です。
その時間は、思いがけず豊かなものになりました。
「不登校」と聞いて、どんな気持ちになる?
最初に、事前アンケートをシェアしました。
「出口のないトンネルをずっと歩いている感じ」 「孤独・孤立」 「行っても不安、行かなくても不安」
渦中にいるお母さんたちの言葉は、どれも正直で、重くい。
それでも出口をみつけるために、日々試行錯誤しています。
不安な気持ちになるのは当然のことなんです。
それは不登校に限ったことではありません。
子どもに起きた出来事に、親は思い悩まされる生き物だから。
気をつけてほしいのは、その不安を一人で抱えて、自分の中でだけぐるぐると迷っていること。
その状態が続くと、視野はどんどん狭くなり、苦しみから抜け出せなくなります。
いろんな立場からの言葉で、世界が広がります。
誰からの言葉も間違っていない。
「この子はこういう子」と決めてしまっていないか
座談会の中で繰り返し出てきたのが、視点をズラすという話でした。
不登校になったとき、親はどうしても一つの面だけで子どもを見てしまいがちです。
この子は、「学校に行けない子」「社会に適合できない子」だと。——でも人間は多面体。こっちから見えていない面が、必ずあります。
この子はこうだと決めた瞬間に、それに当てはまる子どもの面しか見えなくなってしまうのです。
診断も同じです。 支援につながるために必要なこともある。
でも例えば「多動症の○○ちゃん」という枠に子どもを閉じ込めてしまうと、その枠の外にある姿が見えなくなってしまう。
決めつけないで、その子に関わることで、声かけや態度は大きく変わります。
「できない子」ではなく「ここまではできる子」
言葉を少しだけズラすだけでいいのです。
お母さん劇場
お母さんが気づかないうちに子どもの人生の「主役」になってしまっている状態です。
不登校だけではないように思います。
診察室で相談を受けた時、客観的に親子を見た時に感じました。そして自分自身がそうでした。
自分が見ていない、誰かから聞いた出来事も、あたかも目の前で起こっている事実のように話をしてしまいます。
そして、気づかないうちに、お母さんは子どもになりきってしまっているのです。
——子どもの気持ちを代わりに感じ、将来を代わりに心配し、問題を自分のことのように背負い込む。
「原因探し」も同じです。
原因を探ることは過去に戻ることです。
自分ではなく子どもの過去を探るので、見つけることはより難しくなる。
さらに過去を探るということは今と未来に背を向けることです。
それでは前にうまく進めません。
そして、子どもは前に進もうとしているのにお母さんが前でせき止めている状態になってしまいます。
「普通でいてほしかった」
学生と一緒に行っている授業の場で、「つらいとき、親にどうしてほしかった?」と問いかけると、毎年必ずといっていいほど出てくる答えがあります。
「普通でいてほしかった」
この一言は、毎回私の胸に刺さります。
普通というのは、通常モードということです。
お母さんが表情を曇らせ、ため息をつき、過剰に気を使う——それが子どもにとって「自分のせいでお母さんが苦しんでいる」という罪悪感になり、外へ出ることを躊躇わせてしまっているかもしれない。
もしかすると、子どもは自分でどうにかしようと一生懸命考えているのに、「あなたはダメな子」「私がどうにかしなきゃ」と思われていて自分のことを信じてくれていないんだと思うかもしれない。
子どもに何か起きた時、お母さんは自分自身のやることをやっていることが子どもにとって励みになったり、勇気をもらうことなのかもしれない。
お母さんが目標を持って進み、自分の好きなことをしているいきいきとした姿は、子どもに「人生は楽しいものだ」と伝えることができるのではないでしょうか。
私自身も、子どもから「もう結婚もしないし、子どもも産みたくない。」と言われたことがあります。
私は愛するわが子に「あなたなんか産まなければよかった」と間接的に思わせてしまったんだと、愕然としました。
「決める」のは子ども
座談会を通じて何度も繰り返し出てきたのが、この言葉でした。
選ぶのは子ども。
どの学校に行くか、いつ動き出すか、どんな道を選ぶか——親にできるのは、情報を持っておくこと、選択肢を知っておくこと、そして子どもが「自分で決められる環境」を作ること。最後に決めるのは、子ども自身です。
ある子は、自分で通信制高校を見つけてきて、自分で受験の準備をして、入学後に「やっぱり勉強したい」と気づいて自分で転籍の手続きをしました。中学生のころからずっと不登校だったお子さんです。
ある兄弟は、自分で通信制高校を見つけて通学したり、大学に進学したりして、現在2人とも学校の先生になっています。
子どもは、ちゃんと考えています。親が思うよりずっと。
正解はない。でも、問いは持てる
この座談会で大切にしていることが三つあります。
出した言葉は間違っていない。
答えがなくてもOK。
誰かの言葉は気づきの入り口。
「不登校ってどんな気持ち?」「子どもの声って?」「私はどうしたい?」——そういう問いを持って、誰かと一緒に言葉にしていくと、不思議なことが起きます。
自分の中に、自分だけの答えが生まれてくる。
一人でぐるぐると考えているときには見えなかったものが、誰かの言葉をきっかけに、ふっと浮かび上がってくる。それが「気づきの入り口」です。
さいごに
座談会が終わったあと、ある参加者がこう言っていました。
「不登校は、人生の選択なんだな、と思いました」
行かないを選択することができる子は、行くも選択できる。その選択の先に、その子だけの人生が広がっています。
1ミリでいい。今日の視点を、ほんの少しだけずらしてみること。
親御さんだけでなく、学生さんや親子に関わる方の視点がズレていくことで、社会全体の捉え方が変わり、子どもたちが希望を持って大人になっていくことを願っています。
次の座談会も開く予定です。不登校のお子さんをお持ちの方も、そうでない方も、「ちょっと気になる」という気持ちで来ていただける場にしたいと思っています。
気になった方は、気軽に声をかけてください。
まとまった人数が集まれば、ZOOM開催も可能です。ご相談くださいね。
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